木曜日/お母さん/これから
わたしの21歳の誕生日に友だちが「木曜日の難破船 ベッド号の少女」と題して手紙を書いてくれたことがある。
わたしは木曜日にダメになる。
いつも今日はなんかダメだなあと思ったら木曜日なのだ(木曜日じゃなくてもダメなときはもちろんあるけれど)。
お母さんに電話をしてベッドに来てもらった。
今のこと、これからのことを話した。
今まではこういう風にお母さんと話すことができなかった。
喧嘩も多かった。
お母さんもわたしも今みたいに柔軟ではなかったから。
わたしが今みたいになってしまってから、つまり病んでしまってから、良かったことはお母さんときちんと話せるようになったことだと思う。
強がらずにつらいときにつらいと言えるようになったし、それをお母さんも分かってくれるようになった。
これからのことというのは主に大学のこと。
予定では今年の9月に復学して卒業をする。
そして卒業が決まったら就職活動をする。
という感じなのだけど、今の状況から現実的に考えることはできないし、毎日不安に襲われる。
毎日のんびり過ごしているけれど、こんな風に社会から遮断された生活をしていると、もうずっとこのまま社会から遠ざかってしまうんじゃないかとそういう風にしか考えられなくなる。
あの大学に戻りたくないというのが本音で、なんせ数年間あの土地であの大学でとてもつらい思いをしたから、また体調が悪くなってしまうのではないかとか、また学校に行けなくなるんじゃないかとか、一層の事、もう中退してしまえば気が楽になるんじゃないか、と考える。
でも、どう考えても大学は卒業した方がいい、というかしなければ!という思いはあり、二転三転するのだった。